オシムさん、お帰りなさい2008年02月01日 00時35分00秒

昨日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦。
オシムさんの姿を久しぶりに見ることができて本当に嬉しかった。
これも一重に、順大の医療チームとスタッフのおかげだと思う。そして、オシムさんの強靭な肉体と、なんと言っても国民の「シュワーボ、オスタニ!」の声が届いたからだと思う。

アシマ夫人とアマル氏に支えられた久しぶりのオシムさんは、痩せてはいたが、血色が良く少し若返ったように見えた。
そして試合中に度々写し出された表情は、ピッチ上での表情そのもの。
根が優しいからなのか、どこか気弱そうで、物憂げで、不安そうで、寂しそうに見えながらも、弱さを全く見せず、その鋭く光る眼光は一体何を捉えていたのか。
サッカーへの情熱も人生経験も遠く及ばず、育った環境においても、道端にチャンスが幾らでも転がっているような、豊かな環境で育った僕には知る由も無い。
しかし、ただ言えることは、力強い眼光からも、オシムさんのサッカーに対する情熱は、全く衰えてないということである。

2月下旬には退院できる見込みであると言う。このまま順調に快方に向かってほしいと願う。

アシマ夫人と寄添う姿を見て、長年寄り添った夫婦とは何と微笑ましいものだと思った。僕も将来こうありたいと思った。
そして、そしてアシマ夫人の笑顔を見て、世の中で一番大切なのは家族であると再認識した時、日本代表への職務復帰は適わないものだと思った。
オシムさんを必要とする家族がある限り、これからもずっと家族の元へ帰って、ゆっくりと流れる時間の中で過ごしてほしいと切に願う。

ありがとう、ジョニー!2007年12月12日 21時19分43秒

ジョニーがとうとう引退してしまった。
ジョニーの復活を期待し、そしてその思いは果てしなく熱かっただけに、今の気持ちのやり場が見つからない。

トライアウトを受けなかったのは、さすがのライハンハートにもヒビが入るほど、やはり肩と肘の状態が思わしくなかったのか、もしくは、全盛期には程遠い「絶望と言う名の深淵」で身動きが取れなくなってしまっていたのかもしれない。

ロッテ退団の時にもジョニーへの思いは書いたし、今日はこれ以上言葉が見つからないし、あれこれと書く気にもならない。

ファンは、あのマウンドで流した涙を勇姿を忘れることはないだろう。
そして、ジョニーの幻影はこれからもマウンドで生き続けるに違いない。

ジョニーよ、これまで夢を見せてくれて本当にありがとう!そして現役生活お疲れ様。本当に苦しかったことだろう。

その見返りとして、第二の人生の船出が、明るく照らされた大海原のごとく針路が無限であることを祈っている。そして、いつの日か、東京湾へ、幕張の浜へ寄港することを心から願っている。

ありがとう、ジョニー!頑張れ、ジョニー!

北京五輪出場おめでとう!そして狙うは五輪金メダルだ!2007年12月03日 22時31分00秒

星野ジャパン、予選突破おめでとう!
絶対勝たなければならない難しい状況の中、しっかりと結果を出されたことは素晴らしいことだし、この上もなく嬉しい限りです。

今日のダルビッシュは、レギュラーシーズンのストレートの切れもコントロールもなかったけど、ストレートを多く狙われる序盤から、変化球に切り替え、粘り強いピッチングで凌ぎ切ったことは「日本のエース」と呼ぶにふさわしいものでした。6回のホームランは前の打者をストレートで三振に仕留め、調子に乗ったところでのストレートを強打されましたけど、あれは若さというよりはダルビッシュの「強きのピッチング」だったので仕方がないと思います。その後は、7回の打線の援護を受けてから、最後をしっかり抑え、8回は藤川にスイッチ。点差もありましたけど、藤川のあくまでストレート勝負に拘る姿勢は自分に自身を持ってやり遂げることの意味を改めて思い知らされましたね。そして、最後の上原は、危なげなく精密機械のようなコントールで締めてくれました。

守備もしっかり守ってくれました。川崎のファインプレー、村田の好フィールディング、TSUYOSHIの最後のイレギュラーバウンドはまあ仕方ないとして、セカンドライナーを候補。みんなしっかりと守ってくれました。

攻撃では、初回の新井の執念のタイムリー。その後は台湾の一人目の投手の、打者の手許でシュート気味でクッと落ちるツーシームのストレートに手こずり、内野ゴロを多く打たされる状況が続きましたが、7回の村田のデッドボールと稲葉のヒット、そして代走宮本の里崎の送りバンドでフィルダースチョイスの進塁と同時にフォアザチームの三塁手の足を引っ掛けた走塁。あれぞ、プロの走塁技術ですね。あの走塁は本当にシビレましたね。テレ朝の高精度スローカメラの威力に初めてお礼を言いたくなった瞬間でした。そして、サブローのスクイズには本当に恐れ入りましたね。後のコメントで、ノーアウト満塁の場面でもサブローはスクイズもあることを想定していたようですね。ロッテでは「繋ぎの4番」と形容される打者ですが、それだけに、ちゃんと9番の役割を考えて準備していましたね。そして、その後のTSUYOSHI、川崎のタイムリー、青木の四球後、新井と阿部のタイムリーで一気呵成にたたみかけ、繋ぐバッティングを心がけて勝負を決めた7回はお見事でした。そして、9回の新井のホームランと阿部の2塁打など、長打で加点し、これ以上文句のつけどころがない内容でした。

星野ジャパン、北京五輪出場おめでとう!
オリンピック期間は、レギュラーシーズン中の期間と重なって難しい状況であると思いますが、まずは、予選を戦ったメンバーを始め、日本でバックアップしている選手が、怪我をすることなく、万全の体勢で望めることを願っております。
ロンドン五輪では野球をやらないことが決定しているようですので、最後になるかもしれないオリンピックで狙うは金メダルのみです!

ガンバレ!星野ジャパン!野球日本代表!
オリンピック本選でのご健闘をお祈りしています!

【J1第33節】霊峰富士に祈る2007年11月25日 19時37分00秒

冬型の気圧配置も緩んで、小春日和になったこの日。
日本平の南西斜面から吹き下ろす心地よい風と暖かな陽光が日本平を優しく包み込んでいた。

イビツァ・オシム監督の容態は山場を越え、快方に向かっていると聞くが、依然として意識がない状態であることに焦燥感を拭うことができない。一週間以上も眠り続けていることに、よっぽど容態が思わしくないのかと嫌々ながらも思ってしまう。「いや、しかしこれはきっと神様が、長年の労をねぎらい、五体満足でイビツァをサラエボまで送り届けるその時まで、故郷の子守唄を謳って寝かし続けておられるのだ。」「そう、これはきっと神様の思し召しなのだ。おそらくイビツァも故郷サラエボを思って、幼少の頃からの記憶を辿っているに違いない。近いうちに目を覚ます運命にあるのだ。」
今はそうやって自分自身に蔓延るネガティブ感情を払拭させ、安堵感を与えている。

「霊峰富士」は、言わずと知れた日本の象徴であり、日本三霊山にも数えられ、多くの日本人の信仰を集める最高峰である。
僕はこの日、ジェフの応援よりも、イビチャ・オシムの回復の為に、「霊峰富士」を拝みたい一心であった。もちろん、チームを応援し、それに選手が応え、イビツァの心に届いてほしいと思いながらもだ。
僕は、祈りたかった。しかし、「霊峰富士」は道中の東海道からも、試合開始時の日本平からもちょうどその雄大さが、分厚い雲によって覆われ、拝むことができずにいた。

相手の清水は、今期ホーム開幕戦に屈辱を味わった相手だ。その日は、ジェフユース出身の光永 亮太さんを招いての応援ソングで始まるなど、勝利へのお膳立てが整っていたにも関わらず、どちらがホームなのか目を疑うほど、序盤の段階でとんとん拍子に3失点を奪われる惨憺たる内容であった。秘めた闘志を持つ山岸はくやし涙に暮れていたほどだ。ホーム開幕戦の屈辱を晴らすべく、選手もサポーターも発奮する材料は揃っていた。

試合は、北京オリンピック出場を決めた「ウォーターボーイズ」の二人は、疲れを考慮してスターティングイレブンに入らず、変わりに羽生とジョーレが入る布陣。FWはいつもの新居に変わってレイナウド。
開始早々、巻が羽生のコーナーキックをボレーで合わせ、観客の度肝を抜くスーパーゴール。この得点は、ファーポストよりに密集していた勇人とジョーレがニアに動くことで相手が引きずられ、「チームプレー」としてフリーの選手を作ったお手本とも言えるプレーだった。
前節の巻の「涙の理由」が、様々な経験や思い出からくる感情が交錯し、また、イビツァに応えられない自分自身への戒めから溢れ出るものだとしたら、きっとこのゴールは、病床のイビツァのもとへ届いたに違いない。
しかし、序盤の守備陣はパスミスするなど少し浮き足立っていた。そんな中、クリアボールを藤本淳吾に鮮やかに決められ同点。
その後、斎藤がチョジェジンへのファウルで一発退場。ユニフォームを引っ張っていたのではあるかと思うが、ペナルティエリアの外では、決定機を阻んだかどうかの基準にはならない。ゴール裏から見る限りでは後ろから足を出しているのかは良くわからなかったが、レッドカードはいささか不公平な判定ではなかったかと思う。
そして直接フリーキックをまたもや藤本淳吾に決められてリードを許した。

だが、ここから全員が奮起して点を追加点を許さなかった。
伊藤は、フェルナンジーニョと左サイドの市川までケアし、足が攣るまで頑張った。中島と交代した水本は、チョジェジンを、ジョーレは矢島を完全なマンマークで抑えきった。
そして、「あれ、入っちゃうんじゃない」と言ってられるほど、滞空時間の長かった、ジョーレのスーパーゴール。
この試合、勝つことはできなかったが、選手たちは本当に奮闘してくれた。悔やんでも悔やみきれないのは、藤本淳吾を何度もフリーにさせてしまったことである。実際、ゴールへと直結させてしまったことは反省すべき点であろう。

試合が終了した頃、「霊峰富士」は雲を追い払い、霞がたなびいても、なお威厳を留めている姿を僕は目の当たりにした。そして僕は願った。「イビツァ・オシムが早く深い眠りから目を醒ますように」と・・・。

試合終了後、清水エスパルスのホーム最終戦で、一年を総括するチーム関係者の挨拶と久保山選手の引退セレモニーが行われた。
長谷川監督からは、イビツァ・オシムの容態が一刻も早く良くなるように回復を祈る言葉を頂くとともに、ジェフサポーターへの激励の言葉も頂いた。そして、久保山選手の引退会見では、サッカー選手個人への功績を称え、双方のサポーターから惜しみない拍手が送られていた。
きっとイビツァは、日本のサッカーがまだ未熟で汚れていない上、自分よりも相手を尊重する日本の文化や精神、価値観に、この国のサッカーに対するより良き未来を見出したに違いないと思った。

いよいよ、来週はリーグも最終戦。
ジェフは絶対に、開幕戦に敗れた名古屋に勝って締め括りたいところだが、それまでに、イビツァ・オシムは目覚めてくれるだろうか。
いや、いつかは絶対に目覚めてくれる、そう信じている。だから、今はゆっくり過去の記憶に浸って頂き、それに飽きたら今後の青写真を描いていてほしいと思う。

ネダモ、オシマ!シュワーボ、オスタニ!

イビツァ・オシムは絶対に戻ってくる。今はそう信じるしかない。

イビチャの回復を祈ってエールを送ります2007年11月07日 23時00分00秒

イビチャが病に倒れたことは、この上もなくショックでした。
容態が回復するまで、静観しようと思っていましたが、このブログでサッカーについて語れるのは誰のおかげかと考えた時、真っ先にイビチャのことが頭に浮かびました。つきましては、この場をお借りしてイビチャへエールを送らせて頂きたいと思います。

田嶋幸三専務理事の会見によると、イビチャの容態が小康状態で未だ意識がない状態のようです。ただ、意識がないのは、ストレスをかけさせないための治療上の理由によるものだそうで、一応の山場は越えたと見て取れるようで、一先ずホッとしています。

僕が幼少の頃、祖母が脳梗塞で倒れました。ちょうど今のイビチャの年齢と同じぐらいの頃です。しかし、その後リハビリを経て、多少の障害は残りましたが、毎日歩いて外出できるようになるところまで回復し、残りの余生を元気で送ることができました。
だから、イビチャも同じように回復してくれることひたすら願います。
それに、激動の人生において、様々なハードルを飛び越えて来た、イビチャの強靭な肉体とその精神力をきっと神様が見捨てるはずがないと信じています。

四面楚歌におかれた状況でのボスニア人としての誇りを胸に、ユーゴスラヴィアと決別宣言をした監督辞任会見の映像で、顔の至るところから吹き出る汗とその表情を見る度に、僕は胸が痛みます。

僕はいまのイビチャからはもう何も望まない!ただ、ひたすら回復を祈るだけです。そして、元気な姿で自宅のあるオーストリアへ、そして故郷のサラエボへ帰還し、残りの余生を平穏に送ってほしいと思います。

選手のみならず、マスコミや僕たちサポーターにまでサッカーの観る目を養い、見識を深めるためのきっかけを作ってくれた「日本の恩人」、そして僕にとっては「ジェフの恩人」でもあるイビチャには、本当に「感謝」の言葉しか見当たりません。

イビチャの「日本サッカーの日本化」。正直イビチャの手によって大成できなかったとしたら悲しいです。でも、この意志は、陳腐化することはない!そう信じています。

明日のフクアリの試合。僕は、都合が悪く観戦に訪れることができませんが、スタジアムからのエールとメッセージの寄せ書きはいつも一緒に観戦するパートナーに託しました。

そして、今僕ができることは心の中で回復を祈ることと、そして、ひたすらこう叫び続けるしかないと思っています。

「シュワーボ、オスタニ! シュワーボ、オスタニ!」

あなたの息子達が待っています。そして必死に戦っています。
回復することを、そして「オシム語録」の紙数が増えることがなくても、あなたの哲学の一端をまだ教えて頂きたいです。