清原引退に思う2008年10月03日 01時41分16秒

 昨日の清原の引退セレモニーには不覚にもらい泣きしてしまった。すぽるとのハイライトの映像を見ただけだったが、あのスピーチからは“男 清原”の野球人生がひしひしと伝わってきて、熱いロマンにその生き様に心が駆り立てられた。そして、長渕剛のマブタチへの「とんぼ」の京セラドームのファンと一体となっての大熱唱には奮えが止まらなかった。

 「本当に一つの時代が終わったんだな・・・。」
 思い起こせば、僕の高校までの短い野球生活を送るきっかけをくれたのその一人は清原だった。当時サッカー少年だった僕に、野球の方向へ向かわせたのは、PL学園のKKコンビの活躍を見てのことだったからだ。
 そのKKがプロ入りしてからは、当時はCS放送なんてものはなく、地上波の巨人戦ばっかりが放送されていた影響もあってか巨人ファンではなかったが、桑田が好きだった僕は、西武の黄金時代にあって日本シリーズで巨人とぶつかった時は、当時の「AK砲」(秋山、清原)を驚異的に捉えていたような記憶が残っている。
 清原の西武時代は輝かしい記録ばかりで、心に残る名シーンが浮かばないのだが、かと言って、巨人に入ってから「MK砲」と騒がれ、そこそこの成績を残したもの怪我がちだった印象は拭えない。心に残るシーンは藪とのデットボールに激昂したシーンくらいだったかな(笑)  冗談はさておき、巨人に入ってから、肉体改造とか言いながら、体を一回りも二回りも大きくしたことは、故障を誘発させたようで、関節部分はそう鍛えられないことをわかっていたのに甚だ疑問が残る。そして、デッドボールを避けないプレースタイルで怪我を負ったことも、プロの野球選手として疑問を持ったが、あのがさつで頑固で武骨なまでに闘魂を前面に出してプレースタイルがあったからこそ、多くの記録と共に多く話題をさらい、多くのファンに憎まれ口を叩かれ、そして愛されたのだと思う。  清原の凄いところは、四番打者とは思えぬ右打ちの巧さだったと思う。今後も清原のように右方向にあれだけホームランを打てる選手はそう出てこないだろう。だからこそ、長きに渡って4番として君臨できたのだと思う。

 最後に清原選手、23年間の現役生活本当にお疲れ様でした。これからは、その熱い魂を後進の指導に役立てて下さい。そして監督になった暁には、その闘魂をベンチで揮わせて下さい。
 そして、来世での王監督のホームラン競争、僕も同時代生まれ変わることができたなら、それだけで最高です。


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